数字が常識の域を超えると悟りに達する?

JUGEMテーマ:雑学

 

カラハリ砂漠の先住民であるブッシュマンの社会には、3以上の数字はないと聞いたことがあります。「123、いっぱい」と言うのだそうです。狩りに出たら獲物は、単独、ペア、親子3頭、それ以上は群れになるから3以上の数字は必要ないらしいのです。

 

もうちょっと複雑な世界に生きている私たちの周りにはもっとさまざまな数字があります。お金で言えば、1〜万ぐらいまでが身近な単位。億になるとお金持ちの世界。兆になると国家予算という感覚でしょうか。

 

兆の1万倍は京(けい)で、このあたりから創造を超えた大きさになっていきます。光が1年間に進む距離である1光年がだいたい1京メートル。理化学研究所に設置されたスーパーコンピューターの名前が京で、浮動小数点数演算を1秒あたり1京回行う処理能力が由来だそうです。さらに京の1万倍の垓(がい)は銀河系の直径の距離。そして垓の1万倍の秭(じょ)になると宇宙の直径???と言われています。

 

さらにその上になると、1万倍ごとに、穣(じょう)、溝(こう)、澗(かん)、正(せい)、載(さい)、極(ごく)、恒河沙(ごうがしゃ)、阿僧祇(あそうぎ)、那由他(なゆた)、不可思議(ふかしぎ)、無量大数(むりょうたいすう)と続きます。

 

この単位が紹介されているのは、江戸時代の学者の吉田光由が書いた「塵却記」という算術書で、これらの単位は仏典から出ている言葉なのだとか。不可思議までは1064乗と数が明記されていて、その次の無量大数は1068乗になるはずですが、1088乗とする説もあり、ここまで来ると無限大すぎてなんだか分からない世界。

 

一方、小数点以下は、分(ぶ)、厘(りん)、毛(もう)ぐらいまではご存知の方もいるでしょう。こちらも糸(し)、忽(こつ)、微(び)…と続き、10-18乗は刹那(せつな)、10-19乗は六徳(りっとく)、10-20乗は空虚(くうきょ)、10-21乗は清浄(せいじょう)と、なんだか清らかになっていきます。

 

理論的な数字も、人知の域を超えると悟りの境地へ向かっていくんですね。

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  • 2018.11.30 Friday

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