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  • 2020.08.16 Sunday

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人生100年時代の還暦は

JUGEMテーマ:雑学

 

60歳になると還暦のお祝いをする習慣があります。60才の人に赤い着物を着せて家族でお祝いした方もいるのではないでしょうか。でもどうしてそんな習慣ができたのでしょう?

 

還暦は、生まれた年の干支が再び巡ってくる、暦が還るという意味。干支というのは、甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸の十干(じっかん)という古代中国で使われた時間と空間を表す数詩と、子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥の十二支を組み合わせたもので60組あり、年月日に当てて使われます。

 

昔から、「丙午(ひのえうま)年の生まれの女性は気性が激しく夫の命を縮める」などとありがたくない言われがありましたが、この丙午というのが干支です。丙午の年に生まれた人は、数え年で61歳になった時に、また同じ丙午の年を迎えることになります。

 

ちなみに丙午の女性は気性が激しいという由来は、江戸時代に恋人に会いたい一心で放火事件を起こし火刑に処せられた八百屋お七が丙午年生まれだったからのようです。

 

生まれた年にもう一度還ることから、赤ちゃんになってもう一度第二の人生が始まると言う意味で、赤い着物や頭巾を身に付けてお祝いするようになったのだそうです。

 

還暦というと昔は老人のイメージがありましたが、日本人の寿命が延び、いよいよ人生100年時代に突入。これからますます寿命は延びていきますから、60歳なんて人生のまだ半分ちょっとです。まだまだ現役で第二の人生を楽しむ人が増えるなど、これからは還暦のイメージも変わってくるでしょうね。

お辞儀をして申し上げる意味の言葉

JUGEMテーマ:雑学

 

今やSNSが普及し、簡単なメッセージでのやり取りが日常的になりました。でも、目上の人に対してやビジネス文書はそうはいきません。正式な書き方のマナーを覚えておく必要あがります。

 

お決まりのルールとして時候の挨拶や日頃の感謝を伝える挨拶などがありますが、中でも外せないのが拝啓で始まり敬具で終わるという決まり。これは中国から伝わったもので、文士の使う書簡文が始まりだそうです。

 

拝啓の「拝」はおじぎ、「啓」は述べる。つまり「お辞儀をして謹んで申し上げます」という意味。敬具の「敬」も謹む、「具」は伴うという意味で、同じように「謹んで申し上げました」という意味になります。初めと終わりに、相手への礼を尽くす意味があったんですね。

 

改まった手紙を書く時、ちゃんとルールを知らないと、社会人として自分が恥をかくばかりか、社用であれば会社の格を落とすことにもなります。相手を敬う心を忘ず、最低限のルールは心得ておきましょう。

江戸紫は江戸の粋なシンボルカラー

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日本人の食卓には欠かせない調味料、お醤油。今ではソイソースなどと呼ばれ、海外でも認知されるようになりました。このお醤油のことを、別名「むらさき」と呼ぶって知っていますか?

 

紫色は昔から高貴な色とされ、一般庶民がこの色を着ることはなかったのですが、江戸時代になって江戸で紫染めが行われるようになり、八代将軍吉宗が奨励したことで盛んになりました。すると、京都を代表する絞りの生地「鹿の子」と並んで「江戸紫に京鹿の子」と呼ばれるほど有名になったのだそうです。

 

江戸の名物になった江戸紫は、やがて武家から町人まで着るようになり、紫は江戸のシンボルカラーとなっていったのです。そんな中、お醤油の色が紫色に近かったことから、「むらさき」と呼ばれるようになったと言われています。

 

また歌舞伎の「助六」で、助六が江戸紫の鉢巻きを締めていることから、お醤油のことを「助六」と呼んだりもしたのだとか。江戸紫の大ブームのキカッケは、男前の助六が身にまとう粋な色だったからかもしれませんね。

 

今でもお寿司屋さんの業界用語では、おあいそ(お会計)、あがり(お茶)と並んで、お醤油のことを「むらさき」「助六」と呼んだりします。他にも、ぎょく(卵焼き)、なみだ(わさび)、てっぽう(海苔巻き、細巻き)などがあります。

 

今度、タッチパネルではないお寿司屋さんへ行った時、これらの用語を使ってお店の方と会話してみてはいかがでしょう?通だと思われるかもしれませんよ。

日本の最初の乾杯は笑われた?

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通常であれば、お盆で親戚が集まったり、帰省して地元の友人と会ったりしてお酒を飲む機会が増えるこの時期。お酒の席と言えば、乾杯で始まることがお約束ですよね。でもこの乾杯って、いつから始まったものなのでしょう?

 

日本で行われるようになったのは意外と新しく、明治以降なのだとか。1854年の日英和親条約協定後、特派使節であるエルギン伯を招いての晩餐会でのこと。イギリスでは元首の健康を祝って杯を交わす習慣があるので、ここでもそれを行いたいとエルギン伯が提案したそうです。

 

しかし、乾杯という習慣などなかった日本の幕臣たち。どういうものか分からないながら、何とか礼を尽くそうとしたのでしょう。一番生まじめで厳めしい井上信濃守が、会話が途切れて静かになった時に立ち上がり、高い声で「乾杯」をして黙って着席したのです。突然のことにイギリス側は耐え切れず、どっと笑いだしたのだとか。

 

誠意を尽くそうとして笑われた井上信濃守にはお気の毒ですが、おかげで場が和んだのではないでしょうか。その後、西洋文化が広まり洋酒を飲む機会も増えていく中で、乾杯も普及していったとのことです。

 

ちなみに、最初の乾杯の掛け声は「万歳」だったのが、これは天皇陛下への祝賀を意味した言葉だったため、それに変わる言い方として杯を飲み干すという意味の「乾杯」という言葉が生まれたのではないかという説があります。だとしたら、井上信濃守が言ったのも「万歳」だったのかもしれません。

 

コロナ禍のせいでなかなか人が集まりにくい昨今。また楽しい乾杯ができるが1日も早く実現することを願ってやみません。

大切なあの人へ感謝を届ける風習

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最近は、中元やお歳暮を贈る人が減ってきたそうです。人間関係が希薄になったというより、モノ溢れの時代、それほどモノにありがたみを感じなくなり、大げさにモノを贈るという付き合い方に価値を感じなくなっているのかもしれません。

 

お中元というのはもともと中国の星祭りのひとつで、115日を上元、715日を中元、1015日を下元と呼び、この3つを合わせて三元と言って庭で火を焚くなどの行事が行われていたのだそうです。それが日本に渡ってお盆に結び付き、先祖をお祀りすると同時に、生きている両親や親族を敬って野菜や果物、そうめんなど食べ物を中心に送り合う習慣になったのだそうです。

 

一方、お歳暮は読んで字がごとく年の暮れに、お世話になった人への感謝の気持ちを込めて贈り物をする習慣。他家に嫁いだ娘や分家した親戚などが、年の暮れに親や本家に歳神様へのお供物を贈ったのが始まりという説もありますが、はっきりしません。お中元が身近な人への感謝、お歳暮が仕事などでお世話になったお礼という違いがあったんですね。

 

感謝の気持ちを何らかの形で伝えるというのは素敵なこと。お中元、お歳暮の時期ではなくても、ふと心に浮かんだ大切な人に、些細な贈り物をしたり、電話をしてみてはいかがでしょう?大切に思っている気持ちを伝えれば、きっと喜んでもらえますよ。

土用丑の日を作ったのは平賀源内ではない!?

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夏の土用の丑の日にうなぎを食べる習慣は、幕末の天才学者平賀源内が、夏場にうなぎが売れないと近所のうなぎ屋さんに相談されたことから、「本日土用丑の日」という看板を店先に出したら大繁盛したというのがキッカケだと聞いた方も多いでしょう。

 

実はこれ以外にも、大田蜀山人という天明期の狂歌師が、神田川といううなぎ屋さんのために「土用丑の日」と大書したところこの店が繁盛し、それから土用の丑の日にはうなぎを食べるようになったという、平賀源内とそっくり同じ話があります。

 

でも一番信ぴょう性があると言われているのは、文政期に発行された「江戸買物案内」の「う」の部に出てくる話。神田和泉橋通りのうなぎ屋さん春木屋善兵衛のところに藤堂という殿様から大量のうなぎのかば焼きの注文がありました。とても1日では作りきれない量だったため、子の日、丑の日、寅の日と3日間をかけて作ったそうです。

 

でも冷蔵庫などない時代の話。土がめに入れて密封し、床下にしまっておき、納品日に出してみると子の日と寅の日に作ったかば焼きは傷んでしまっていて、丑の日に作ったものだけが大丈夫だったのだとか。以来、土用丑の日に食べるうなぎはおいしくて栄養があると言われ、この日にうなぎを食べる習慣が広まったのだそうです。

 

今年の土用丑の日は721日。おいしいうなぎを食べて、新型コロナウイルスに負けない気力体力をチャージしましょうか。

七夕をタナバタと読むのはなぜ?

JUGEMテーマ:雑学

 

77日は織姫様と彦星様が年に一度の逢瀬を楽しむ日。でも、なぜそれが行事となったのか?そもそも七夕という漢字は、通常ならシチセキとかナナユウと読むところを、なぜタナバタと読むのでしょう?

 

織姫星は機織りの名手で、神様の着物を織る仕事に精を出していました。あまりに仕事一筋なのを見た父親の天帝が、天の川の対岸に住んでいたこちらも真面目な牛飼いの牽牛星と引き合わせ結婚させました。

 

ところが、仲睦まじいのは良いけれど2人もまったく仕事をしなくなってしまい、これを怒った天帝が2人を天の川を隔てて離れ離れにしてしまったのです。すると今度は、悲しみに暮れるばかりで働きません。しかたがないので、真面目に働くことを約束させ、年に1度七夕の夜だけ会うことを許されるようになったという中国の織女伝説の言い伝えから来ているようです。

 

布を織る機(はた)には棚が付いていたため棚機(たなばた)と呼ばれており、織姫星もいつも機を織っていたため棚機女(たなばたつめ)とか棚機星(たなばたぼし)と呼ばれていました。そこから年に一度のこの逢瀬の日、七夕をタナバタと呼ぶようになったと言われています。

 

この織姫星はとても上手な織り手であったことにあやかり、機織りだけでなくどんな技術も上手になる、文字も上手になると言われ、7月7日の朝早く朝露で墨をすり、短冊に詩や短歌を書いて竹の枝に吊るしてこの星にお供えしたのが七夕の短冊のルーツだそうです。それが転じて願い事を書いて吊るすようになったんですね。

 

技能やテクニックを上達させたい人は織姫星にお願いするのがいいかもしれません。その時は、織姫星の幸せを祈ることも忘れないであげてください。

水引はただの荷物の目印だった!?

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結婚式やお葬式、お祝いなど、人生の節目に当たる時の金一封や贈答品には、必ず水引という紅白や白黒の細い帯紐の飾りが付いています。

 

水引の色で祝儀・不祝儀を使い分けられる「あわび結び」、一度切りで繰り返さない「結び切り」、何度も良いことが起きるようにという「より返し」、縁を切らないようにと余った水引を切らずに輪にする「引き結び」、何度あっても結び直しができるのを良しとする「りぼん結び」など、いろいろな結び方があり、形によって用途もさまざま。

 

見た目も華やかで、お祝いの場合はいかにも「縁を結ぶ」ありがたいもの、不祝儀の場合は荘厳なものという感じがいたしますが、実はこれ、もともとはそんな深い意味はなく、単に荷物の印だったというのです。

 

室町時代、中国から入ってくる輸入品には、すべての箱に赤と白の紐が縛り付けてありました。中国の人からすると、単に輸出品の目印として縛っていただけだったのだそうです。一度結んだらほどけない結び方をして、「未開封」の印にしたのかもしれませんね。

 

ところが日本から見るとおめでたい紅白の紐だったため、日本古来からあった「結び」の信仰につながったのだとか。不祝儀の際は、ほどけない結び方であることから「一度切り」という意味で使われるようになったようです。

 

結びの信仰とは、何かを結ぶことで結び目に魂が入り、贈る人の所へ贈り主の心を運ぶという考え方だそうで、万物に魂が宿ると信じ、人や物に心を寄せることを日常としたいにしえの日本人らしい捉え方です。今度、水引の付いたご祝儀袋を使う時には、相手への感謝や寿ぎの心をしっかり結び目に込めましょう。

店先の盛り塩は牛のためだった!?

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よく飲食店の店先などで見かける盛り塩。小さなお皿に一握りの塩がきれいに三角形に盛られています。掃き清められた店先にきれいに盛り塩が置かれているのを見ると、なんだか清浄な気持ちになります。でもこの盛り塩って何のためなのでしょう?

 

盛り塩の風習は奈良・平安の頃からあったと言われ、神事からきた清浄の意味があると言われていますが、一方、お客さんの足を止めるための縁起担ぎという意味合いの盛り塩は中国が起源という説も。

 

かつての中国の皇帝は1万人もの側室を囲い、その1人ずつに邸宅を与えていました。皇帝は牛車に引かれて毎晩側室のもとへ通うのですが、あまりにも側室の人数が多いため、とても回りきれるものではありません。そのうち訪問されなくなってしまう側室も出てきます。そんな側室の一人が考え出した苦肉の策が軒先の盛り塩だったのです。

 

皇帝が立ち寄ってくれないのなら、牛車を引く牛を立ち止まらせてやろうと、皇帝が通る頃合いを見計らって門前に盛り塩を置いたところ。。。思った通り牛は喜んで舐めはじめ、ビクとも動きません。牛が動かなければ皇帝もどうしようもない訳で、その側室の元へ行くしかなかったのだとか。

 

以来、この側室は毎晩盛り塩をして皇帝の寵愛を取り戻したことから、客商売の店が客足を止めるために盛り塩をするようになったのだそうです。なんとものどかな話ですが、それを良しとした皇帝は、側室の頭の良さを気に入ったのかもしれませんね。

お赤飯のルーツは古代米

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お祝いの席や神事には欠かせないお赤飯。小豆ともち米という普段のご飯とは違う非日常感が、お祝いの席を華やかに盛り上げます。でもなぜ、お祝いの席にお赤飯を食べるのでしょう?なんとなく紅白で縁起が良いからだと思っていましたが、それだけではないようです。

 

もともとは赤米という赤いお米を使っていたのが起源なのだとか。赤米というのは稲作が始まった頃から栽培していた原始的なお米。きわめて古い品種であるため、ご先祖を祀って祝う日などには、この赤米を炊いて先祖の霊に供えるという習わしがあったそうです。

 

しかし、この赤米の赤い色はタンニンなので、そのままではとても食べられない味だったり、硬かったり、収穫量が少なかったりしたため、稲作技術が発展して品種改良が進んだ江戸中期頃からは、白いお米と小豆などの赤い豆で炊いた現在のお赤飯の原型が広まったと言われています。

 

ちなみに、地域によってはお葬式の時に赤飯を食べる風習もあるようで、これは長寿の方が亡くなった時に、天寿を全うしたお祝いとして振われるのだそうです。

 

下等米として明治期に撲滅され、すっかり見られなくなっていた赤米ですが、食の多様化が進んだ近年、いろいろなお米のニーズが高まり、それと共に赤米の品種改良も進み、最近では「古代米」などとして販売されるようになりました。白米に少し混ぜて炊くのがいいようで、硬さがアクセントになりおいしいなどと言っている人もいます。

 

お赤飯はコンビニのおにぎりでいつでも食べられる時代になりましたが、赤米を食べたことがある人はあまりいないのでは。抗酸化作用のあるタンニンが豊富な赤米は、今ではヘルシーフードとも言えます。思うように外へ出られない今、家にいる時間を楽しむひとつの方法として、古代のご先祖様に思いをはせて赤米のお赤飯にチャレンジしてみてはいかがでしょう。